NHKは、受信料制度の根拠として、「放送を通じて国民の生命や財産を守る」ということを上げている。しかしながら、この言葉も「公平」「中立」「公共の福祉」「公共放送」「民主主義の発展」などの言葉のように、これらの言葉のまえでは、誰も意義を唱えることができないことを意図して、使っているように思える。
果たして、NHKの放送は、本当に「国民の生命や財産を守る」ことに寄与しているといえるのか、という素朴な疑問が湧き上がる。
NHKは、上記のように、放送を通じて国民の生命や財産を守る、と宣伝していいるが、放送は実態のない、信仰に似ている。信仰のように、繰り返し繰り返し、「国民の生命や財産を守る」と宣伝することによって洗脳し、また、それを信じ込ませるために、「お上」の威光をちらつかせ、あたかも何らかの実効性があるかのように思い込ませている。放送は、電波である。放送で使う電波はなんら、生命・財産に作用する力を持たない。また、その電波によって届けられる言葉にも、身体や財産に直接作用する力はない。にもかかわらず、放送が「あなたの生命や財産を守っている」と主張する。はたして、本当か。
そもそも、NHKの設立は、為政者が自分たちのコントロール出来る、放送局を確保する為に他ならない。目的は、情報操作による、思想統制である。これは、戦前のNHKを見れば明らかだ。戦前のNHKは、政府の報道機関であり、政府の宣伝を担う機関であった。戦後、民主的な機関に移行したように見えるが、政府からの独立はできていない。その様な目的で設立されたNHKではあるが、今日、NHKをコントロールできても、情報統制が出来ると考える政治家がいるとは思えない。NHKに政府の監視を期待することなど出来ないが、その他の報道機関が数多く存在することにより、政府による情報統制など思いもよらない。
このように、放送によって情報を操作し、思想誘導を行うことはできるが、これは、独裁国家が行う常套手段であり、負の側面である。とても、放送を通じて「生命や財産を守る」ことなど出来るとは思われない。
NHKを必要としているのは、まず政府与党、つまり為政者だ。自分たちのコントロールできる放送局を確保するため、NHK設置法を制定した。つまり、情報操作による思想統制を行うことが目的である。そんなこと、嘘だ、と思われるかも知れないが、わずか、70年前まで、天皇を神として、この国を統治してきたのである。平均寿命が80才前後になった今、70年前ということは、まだ、戦前の教育を受けて、育った者がいるということである。また、それらの両親のもとで育った者が、現在の社会の中核をになっているのが現状である。戦前の教育を受けた者の中に、また、その両親のもとで育った者の中に、民主主義の思想が十分成熟しているかは疑わしい。為政者にとって、放送局が国民の思想統制に必用欠くべからず物であることは、独裁国家の例がそれを示している。わずか、70年前まで、日本でも政府は、NHKを使って国民の思想統制を行っていたのである。
また、現在でも、朝鮮半島のある独裁国家が、毎日のように、国民に思想統制の放送を行っていることを目にする。最近でも、アフリカ、ジンバブエで36年続いた独裁政権が、クーデターによって倒れた、というニュースを目にしたばかりである。この時も、まず新しい政権は、放送局を統制下に置いたとされる。
戦後のNHK設置でも、政府与党が、自分たちのコントロールができる放送局を確保することが目的だったことは容易に想像できるし、実際そのように法律が出来ている。しかしながら、戦後その様な目的で作られたNHKであるが、今日NHKをコントロールできても、情報操作による、思想統制が出来ると考える政治がいるとは思えない。社会は、戦後、想像も出来ないくらい激変したのである。
次に総務省、これは自身の天下り先として、NHKは非常に魅力的な企業に他ならない。甘い蜜に蟻が群がるごとく、NHKに群がる総務省の役人たちなのである。
役人たちは、政治家とは違い選挙によって選ばれることもない。何十年、あるいは、百年前の法律の中で生きている。社会の変化など眼中にない。法律こそがすべてであり、法に触れなければ何でもやるという連中なのである。
最後に、NHKを必要としているのは、NHK自身に他ならない。それは、既得権益を守るためである。自身の権益の拡大、組織の拡大、権利の拡大を目指すためである。組織の拡張こそか至上命題であり、これに反する事は絶対認めない。
その様なNHKの放送が、国民にとって本当に有用と言えるのか、検証してみよう。
そこで、その検証しとて、多くの人々の記憶に残る、近年起こった災害を上げてみてみたい。なぜ、そのような事をする必要があるのか、NHKが主張する、「国民の生命や財産を守る」といことを、具体的な事例を示すことによって、NHKの主張に実態があるがどうかを検証することにある。
記憶に残る、大災害としては、次の、「雲仙普賢岳の噴火による火砕流」、「阪神・淡路大地震」、「東日本大震災」、「御嶽山噴火」、「糸井川大規模火災」……などを上げる事ができる。
これら大災害の中に、NHKの放送によって、「命」や「財産」が守られた例が果たしてあったのだろうか。それを調べることにより、NHKの主張に実態があるか否か分かるであろう。
雲仙普賢岳火砕流 (1991-6-3)
死者・行方不明者数 43名
阪神・淡路大震災 ( 1995-1-17)
死者・行方不明者数 6,402名
東日本大震災 (2011-3-11)
死者・行方不明者数 13,135名
御嶽山噴火 (2014-9-27)
死者・行方不明者数 63名
糸魚川大火災 (2016-12-22)
消失家屋 147棟
大分山崩れ (2018-4-11)
死者 6名
さて、上記に挙げた数々の被災者は、NHKの放送があることによって軽減されたのだろうか、またはこれ以外に救われた者がいたのだろうか。NHKは放送を通じて、国民の生命や財産を守ると宣伝しているが、そもそも、NHKが提供している情報は、事後報告なのである。これこれこういうことが起きました、という事後報告なのである。災害が起きて、人的被害が起きた後で、これこれの方が亡くなりました、という事後報告なのである。だから、原理的にNHKの放送が、国民の生命や財産を守ることなどできない。
にもかかわらず、NHKは放送を通じて、国民の生命や財産を守るという。正に神話の世界である。神社に行って、神様に願い事をしても、それが叶うことなどない。祈ることによって心の平和を求める事はできるかもしれないが、物理・財産的に何かの利益を得ることなど、不可能なのである。それは、物理学の原理なのである。
次に、検証したいのは、交通事故による死亡者や自殺者の問題である。
最近の交通事故死亡者の数は、年間およそ3,700人、自殺者の数はおよそ30,000人。
特に、交通事故による死者のニュースはほぼ毎日のように目にする。また、ニュースとして取り上げられることは少ないが、交通事故の8倍もの人が人知れず自ら命を絶っていることは事実なのである。果たして、この2例に対しても、死亡者数を減らすことに、NHKの放送は何らかの寄与していると言えるのか。否である。
また、我々が病気になった時の問題を取り上げてみよう。
我々が、体の不調を覚えた時、まず、近くの病院へ行く。そして、そこで対応が出来れば、そこで治療を受けることになる。対応出来なければ、総合病院へ、更に必要に応じて、大学病院など高度医療が行える医療機関へ行くことになる。ここに、NHKの放送が登場することはない。
さらに、インターネットを通じて、もっと個別的、専門的な医療機関を、あるいは、その疾患に合わせて、専門医を知り、選ぶことも出来るようになっている。
これも、NHKには何ら関わりを持たない所で行われている。
さらに、予防という観点から、地域の集団検診、職場での集団検診、学校での集団検診を受け、異常が見つかれば、更に精密検査を受けるような体制が整備されている。ここでも、NHKの放送は何ら関わりを持たない。
財産の消失という点では、火災を上げる事が出来るであろう。
総務省の資料では、平成28年(1月~12月) には、36,831 件の火災があったとの報告がなされている。さて、この件でも問う。NHKの放送で、火災の件数が減ったことが確認された事例はあるのか。否。この報告書の中にも、NHKの放送が火災の減少に寄与したとの記述はない。
さらに、人の生命ということに、着目すれば、生死がある。生死、つまり、出生と逝去である。最近の日本の出生者数は、年間約100万人である。出生者数が100万人ということは、その数に見合う人が毎年亡くなっているということでもある。出生者数に比べて、亡くなっている人の数はあまり話題に上がることは少ないが、ほぼ出生者数と同等程度の人が亡くなっていることも事実なのである。この全体的な出生と逝去の関係は、自然現象ともいえる推移であり、NHKの放送があろうがなかろうが、全く変わることはない。ここでも、NHKの関与を認めることはない。
このように、皆がよく知っている、事例を挙げ、NHKが「放送を通じて、国民の生命や財産を守る」ということを検証してきたが、具体的にその例を見出すことが出来ないのである。
冒頭で、述べたように、そもそも放送は、電波を介して行われる。放送で使用される程度の電波は、基本的に、人の身体や財産に直接作用することはないのである。放送はその電波に、言葉を載せて通信するわけだが、思想の統制はできるが、身体に、財産に直接作用はできないのである。さらに、NHKが提供する放送は、基本的に事後報告であり、「これこれのことがありました」というに過ぎない。
NHKは反論として、健康番組や、医療番組を通じて、国民の生命を守るのに貢献している、と主張するかもしれない。しかし、そのような番組は他のテレビ局でもやっており、むしろ、NHK以外の同種の番組の方が、内容、質、回数とも優っている。NHKが受信料制度を維持するために必要な要件であることを主張するには、受信料制度のNHKだから出来て、他の放送局には出来ないことを示す必要がある。しかしながら、実態はNHK以外のテレビ局の、健康番組、医療番組の方が、内容、質、回数ともまさっており、NHKが国民の生命を守るため、受信料制度が必要であるとの主張は、到底受け入れられないし、それをもって、NHKの放送が「国民の生命や財産を守る」というのは、烏滸がましいという言葉以外、見つからない。まさに、あたかもご利益があると信じる、信仰に似ている、実態のないものといえる。
さあ、NHKの放送が「国民の生命や財産を守る」という呪縛から抜け出そう。NHKの放送が無くても、生活には何ら問題は起きない。さあ、目を覚まそう。