NHK受信料問題 テレビメーターの導入

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 NHKはテレビメーターの導入をしないと表明している。
 その理由の一つとして、放送法15条の規定、

「第一五条 協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送(国内放送である基幹放送をいう。以下同じ。)を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。」

の赤色の部分「あまねく」を挙げている。

 はて、この「あまねく」がなぜ、テレビメーターの導入を拒否する理由になるのだろうか。これは、詭弁に過ぎない、と考えるのが普通の感覚であろう。

 もう一度、受信料問題の核心部分を思い出してもらいたい。その核心部分とは、放送法64条1項の規定、「受信機を設置した者は~契約しなければならない」というところにある、ということは再三述べてきた。そして、本来ならば、この規定は、「放送を利用する者は~契約しなければならない」とすべきなのだ、ということも繰り返し主張してきた。

 そこで、ここでなぜこの規定が生まれたか、もう一度見てみたい。

 これは取りもなおさず、「電波」という特殊性がなせることなのだ。電波はアンテナから発射されると、空間を無限に広がってゆき、この電波を誰が傍受しているか、戦後放送法が制定された時代、これを知ることができなかった。NHKが提供している「娯楽、情報」がまさにこの電波という媒体を介して提供されているのである。まさに、放送というものが電波を媒介として、提供されるところに、「放送法64条1項」が必要となる、原因があるのだ。

 電気、水道、ガスなどは、それらを利用する者を特定できる。つまり、電気なら電気メーター、水道なら水道メーター、ガスならガスメーターを、それぞれの利用者の敷地内に取り付け、どこの誰がそれらを使っているか一目瞭然の状態にある。
 一方、電波を使った放送は、最近までその利用者を特定することができなかった。放送法が制定されたのは、昭和25年ころ、戦後間もないころだ。このころは、ラジオの時代で、ラジオ放送局もNHK1社しかない時代である。つまりラジオ局がNKH1社しかない状況では、ラジオを買うことは、NHKの放送を聞くことを意図していた。だから、「設置者=利用者」としても、問題はなかった。放送を聞くために、ラジオを買い、NHK1社しかない場合、ラジオを買うのはNHKを聞くためである。

 また、この時代、放送はアナログ放送で、電波で流すと、どこの誰が放送を聞いているかを特定する事が出来なかった。この状況の中では、ラジオを設置した者を放送の利用者とすること以外に、受信料を徴収する相手方を特定する方法がなかった。利用者を特定できない以上、「設置者=利用者」とし、受信料を徴収するしかない。

 前述のように、放送局がNHK1社の場合、「設置者=利用者」としても、何ら問題は提起されなかった。だが、その後、ラジオ局が複数になると、「ラジオを設置」=「NHKの利用」とはならない状況が出現する。ラジオを設置しても、NHKを聞いていない者もいる可能性があるからだ。しかし、「私は、NHKを聞いていないので、受信契約をしない」と申し立てても、この時点では、これを認める事が出来ない。電波を使った放送で利用者を特定できない以上、「NHKの放送を聞いているかもしれない」と推定することを認める以外に方法がなかったのだ。ただし、この規定には、NKHの放送を利用していない者からも、利用料を徴収している不公平を内在している。利用者を特定できないので、ラジオの設置をもって、NHKを利用していると推定した規定には、NHKを利用していない者の理不尽な思いがあるのだ。その不公平感は大きいといえる。NHKは、その不利益を受けている者への説明に「公共の福祉」という言葉で対応しようとしているかもしれない。しかし、「公共の福祉」では、不利益を被った者へは、正当な範囲でその不利益は補填されるのである。さて、NHKは、放送法64条1項で不利益を被る人にどのような補填をしているだろうか。何もしていない。NHKは、それは法律で決まっていることで、我々はただ、法律に従っているだけだ、その法律は我々が決めたことでもない、文句があるなら、その法律を作った政治家に言ってくれ、とでも主張するであろうか。それならば、「公共の福祉」という言葉は使うべきではない。

 さらに時代は進み、放送はラジオの時代から、テレビが主役の時代へ移行する。だが、放送はまだアナログの時代である。放送法の「受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」という規定は、そのまま受け継がれる。つまり、ラジオからテレビに放送の主役が入れ替わったといっても、電波を利用していることに変わりはなく、依然として、利用者を特定できないのである。「利用者→契約者」ではなく「設置者(=利用者)→契約者」との構図はそのままである。その結果、NHKを利用していない者からも、料金を徴収しているかもしれないという、不公平を内在したままでである。

 そして、さらに時代が進み、衛星放送が、デジタル形式で開始される。そして、とうとう、2011年、地上放送もデジタル化への移行が完了した。地上、衛星ともデジタル放送が行われたことで、放送法64条1項の意義、役割はここで終了したといえる。つまり、前述のように、放送が電波を媒介として提供されるため、番組を利用している者と利用していない者を判別することができなかったのであるが、いまや、放送業界をめぐる環境と技術の革新が著しく進み、それができるようになったのである。だれがNHKの番組を利用しているか、判別できるテレビメーターを導入することができるようになったのだ。このテレビメーターの導入が可能になったことにより、放送法64条1項の役目は終了することになるのである。

 さて、NHKがテレビメーターの導入を拒否する真の理由は、何か。それは、テレビメーターの導入が、組織の縮小につながりかねない危険性があると、判断しているためである。NHK改革の本丸は、放送法64条1項の「受信機を設置した者は~契約しなければならない」というところを、「放送を利用する者は~契約しなければならない」に、改正するところにある。しかし、NHKにとって、この規定の変更は、受信契約の減少、ひいては、受信料の減少につながる恐れがあり、結果的に、組織を縮小しなければならないことに陥ることになだろう。この規定の存続こそが、NHKの大命題なのである。それが、今まで通りの組織の維持、あるいは拡大を保証しているといってもよい。NHKにとって組織の拡張発展、既得権益の保護が最大の目的なのである。これは、NHKに関わらず、官庁、法律で守られている特殊法人など、すべての共通志向である。

 つまり、テレビメーターの導入は、上記の、放送法64条1項の、受信機を設置した者は~契約しなければならない」を、「放送を利用する者は~契約しなければならない」に改正したことと、同じ効果を生むことになる。NHKにとってはこれは、由々しき問題なのである。何も改革せず、今のままで存続することが、組織の維持、あるいは発展につながるのであるから、これを許すことなどできないことになる。
 放送法64条1項は、国会が作った法律であり、NHKとしてはあずかり知らぬこと、文句があるなら、国会に言ってくれ、我々は、ただ法律に従っているだけ、というのがNHKの立場であろう。たしかに、放送法64条1項の改正は、国会の役目である。だが、ただ座視して改革の流れに従うようなことはしないに違いない。そのような流れにならないように、総務省、政府与党を十分監視し、もし、そのような動きがあれば、組織を挙げて阻止するだろう。改革を阻止するどころか、法放送64条1項をそのままに、さらに、これに罰則まで付けようと、画策している。

 一方、テレビメーターの導入するか否かは、NHK自身が決められることであるが、自ら自身の組織の縮小につながりかねない、テレビメーターの導入をするとは考えられない。むしろ、放送法64条1項を含む、これらのNHKの改革の動きから、NHKを守り、その功績が認められた者は、NHKが抱える子会社・関連団体への天下りが褒美として与えられるのである。つまりは、NHKがテレビメーターの導入をしないのは、組織の縮小を免れ、既得権益を守る以外にないのである。

 NHKがテレビメーターの導入を頑なに拒む姿勢を見ると、果たして、NHKが提供している放送に、ほんとうに料金に見合う価値があるのか、という疑問が提起される。
 もし、NHKが受信料に見合う内容の放送番組を提供しているのであれば、テレビメーターを導入しても、何ら恐れることはない。料金を払わなければ、サービスの提供を停止すればいいだけの話なのだ。ところが、テレビメーターの導入を拒む。つまり、NHK自身が、放送による料金は、内容から見て、著しく不当と認めていることになるのである。

 比較のために、電気、水道、ガス、の例を取り上げてみよう。電気、水道、ガス、にはそれぞれ使用状況を表すメーターが付いており、これにより各人は、それらを使用しているかどうか一目瞭然である。利用しなければ、料金は発生しない。(厳密にいうなら、使用しなくても基本料はかかるが、ここではその説明は省く) 。つまり、これこれの料金で、これこれの量を提供します、よろしければ、ご利用ください。サービスの提供者、利用者、双方とも内容に満足しているのである。利用者は、サービスに対して、料金が高ければ、利用しないだろう。また、提供者は、利用者が料金を払わなければ、サービスの提供を停止する。これらの使用状況は、各家庭に設置されている、メーターによって記録され、使用状況は明白であり、サービスの提供者、利用者の間には何ら問題は起きえない。

 ところが、NHKの場合。現在テレビメーターの導入が可能になったにも関わらず、導入を拒否している。これは、明らかにNHKは料金に見合うサービスの提供をしていないことを表している。NHKにとって、放送は価値ある財産であるはずである、その価値あるはずの財産を、垂れ流し、料金を払わない者には、放送を届けない方法があるのに、そうしない。NHKの放送には、価値がないのだ、としか思えない。価値があるのなら、供給をすぐ停止するのが、正しい対処の方法であろう。

 これまで述べてきたように、テレビメーターを導入しない理由を、次のように考える。

 1. NHKの放送には、料金に見合う価値がない。そこで、テレビメーターを導入すると、契約者の減少による、収入の減少が予想される。
 2. 電波を介しての放送は、番組を制作し、発射すれば、それを利用している者が、1人であろうと、100万人であろうとコストは同じであるから、垂れ流していても、NHKの損失にはならない。

 このように考える。

 次に、「あまねく」に話題を移そう。
 政府・与党がこの法律を作ったのは、戦後間もない頃である。その真の目的は、政府・与党のコントロール出来る放送局の確保である。戦後、70年、平均寿命が80才前後まで伸び、100才まで生きのがめずらしくない昨今、天皇を神と崇め、そのような教育の中で育った戦前生まれの者がまだ多く生きているのである。戦前、NHKは政府の放送機関であり、情報操作にり、国民の思想統制に多くの役割を果たした。これは、大昔の話ではない。わずか70年前まで行われていたことなのだ。戦前生まれの者は、その時果たしたNHKの役割を覚えていることだろう。国民の思想統制に大きく関わってきたのだ。

 政府・与党は国民に娯楽を提供するために、NHKを作ったのではない。政府・与党の考え方を全国津々浦々まで、浸透させるため、「あまねく」という文言をNHK設立に際し、使用したのである。政府・与党の考え方を聞くことが出来ない者が、一人でもいるということは、不都合なことなのである。同じことは、郵便局の設置についても見る事が出来る。郵便局も、全国津々浦々を漏れなく網羅するように、設置が義務付けられている。これも、国民に利便を与えるのが、真の目的ではない。政府、県市町村の命令、指示を全国津々浦々まで浸透させ、一人でも、知らなかったという者が出ないようにするためである。しかしながら、郵便局は、結果的に住民へのサービスも期するようになり、弊害は少ないように思う。利用したくなければ、利用しないで済むからだ。

 衛星放送の出現により、「あまねく」は達成されたと思われる。衛星放送は、当初、地上波放送の届きにくい地域の解消を目的に導入されたと理解しいる。衛星放送は、宇宙空間から、日本列島全体をカバーしており、日本列島どこででもテレビの視聴が可能である。本来、地上放送の難視聴地域の解消が目的であれば、地デジ、と衛星放送は同じ放送内容であるべきはずである。しかしながら、地デジ、衛星放送は内容をそれぞれ別にして、料金も地デジに衛星放送分を加えた料金になっている。これは、まさに焼け太りと言わなければならない。NHKの放送は、地デジをなくし、衛星放送1チャンネルにすぺきた。教育放送チャンネルは廃止し、衛星放送1チャンネルの中で、教育番組を放送すればよい。とにかく、他の放送局ができることをNHKがやる必要性はない。そうすれば、料金も月100円程度に収まるかもしれない。

 

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