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「虎の威を借る狐」の虎とは「政府」あるいは「国家」と言ってもいいかもしれない。また、狐はNHKを表す。
NHKは、自らを「公共放送」という言葉で表す。ことあるごとに、この「公共放送」を連呼する。
例えば、「公共放送として皆様の暮らしに役立つ情報を~」とか、あるいは、「公共放送として災害から皆様を守るために~」とか、また、「公共放送として~」……である。
つまり、NHKはこの「公共放送」という言葉に、「自分たちは、他の儲け主義の放送局とは違う存在である、ということを示したいのであろう。つまり、分かりやすく表現するならば、我々は「お上の許しを得ている」特別な存在ということなのだろう。もっと砕けた言い方にするならば「皆の者頭が高い、下がりおろー、この(公共放送)という言葉が目に入らぬか」「へへー」……。つまり、NHKは、「公共放送」という言葉を使うことによって権威を示したいのである。その権威を利用し自分たちは特別な存在で、国民の為に特別で正しい有益な仕事をしていることを宣伝し、それを公共放送という言葉で表し、国家の保証を得てようとしている。
例えば、エジプトのピラミッド、スペインのサグラダ・ファミリア、日本では奈良の大仏、これらに共通しているのは、その巨大さである。この前に立つと、人の力を超えた神秘さを感じずにはいられない。この人の力を超えた神秘さを与える目的は、権威を得る、又は与えるためである。これらを製造した者が、これらの神秘性を利用し、神から特別な権威を受けたと、信じ込ませ、自らの行為に権威を与えるためである。NHKの放送には、何ら特別なものはなく、人々は放送を通じて「情報と娯楽」を有償で買っているに過ぎない。それに権威を与えるために、あえて「公共放送」という言葉を使っていると思われる。
本来、放送法はNHKの活動を規制し、国民がNHKから不利益を受けないように規定されたのである。ところが、NHKはこの法律を曲解、または悪用し、自らの権益、活動の拡大に利用している。
しかし、本当にそうなのか。これは、十分に吟味する必要がある。
NHKは誰もがこの言葉には、反対の意思を示すことができない「公平」「中立」「公共の福祉」「公共放送」などを使っているが、はたして「それほど、実社会で必要性の高いことを行っているのか」を検証する必要がある。
「公平」「中立」「公共の福祉」「公共放送」など言葉に惑わされることなく、もっと実生活に即して、NHKの放送の意義に迫ることは、絶対必要なことである。そこで、「トイレットペーパーとNHK_公共の福祉」で使用した表現をここでもう一度みてみたい。重要な部分は重複することをことわっておく。
実生活で、NHKの放送の必要優先順位を比べる部分である。まず、水道、ガス、電気とNHKの放送の優先順位を比べていた。
水道、もしこれが何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これは、出るところの騒ぎでない。今から、ご飯はどうする、洗濯はどうする。お風呂はどうする。生活は大混乱である。それに対して、NHKの番組が見れなくなるとして、明日生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「朝の連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、水道の供給のほうが、NHKの放送より生活に必用な優先順位が高いということになる。その関係を次の式で表すと、
「水道>NHK」
のように表せる。これは、「実生活の中でNHKの放送の必要順位」を比べ安くするための工夫である。
次に、ガスを例にとって見よう。
ガス、これが何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これも、出るところの騒ぎでない。今から、明日の朝、昼、晩のご飯はどうする、赤ちゃんがいる家庭ではミルクを作るためのお湯の確保も必要だ。また、お風呂もどうする。生活は大混乱である。それに対して、NHKの番組が見れなくなるとして、明日、生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「朝の連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、ガスの供給のほうが、NHKの放送よりより生活に必用ということになる。その関係を次の式で表すと、
「水道、ガス>NHK」
のように表せる。
次に、電気を例にとってみよう。
電気、これも何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これも、出るところの騒ぎでない。電灯がつかない。NHKどころか、テレビ自体見れない。電子レンジ、トースターも使えない。エアコンも使えない、夏なら大変なさわぎである。このように生活は大混乱をきたす。それに対して、NHKの番組が見れなくなるとして、明日生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「朝の連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、電気の供給のほうが、NHKの放送より生活に必用な優先順位が高いということになる。その関係を次の式で表すと、
「水道、ガス、電気>NHK」
のように表せる。
次に、交通機関(バス、電車など)を例にとってみよう。
同じように、交通機関が、何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これも、出るところの騒ぎでない。通勤はどうする。通学はどうする。病院はどう行く。人の流れが止まり、経済は、普段の生活は大混乱をきたす。それに対しNHKの番組が見れなくなるとして、明日、生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「あさの連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、交通機関のほうが、NHKの放送より生活に必用な優先順位が高いということになる。その関係を次の式で表すと、
「水道、ガス、電気、交通機関>NHK」
のように表せる。
限がないので、一応ここで比較は終わりとするが、この関係をずっと続け、 「(あるもの)<NHK」
となる場合とは、いったい何だろう。「あるもの」よりNHKの番組ほうが生活により必要となるものの名前は何になるのだろう。
ここで、もう一度確認してみると、NHKの提供しているのは、主に「娯楽と情報」である。「娯楽と情報」に関して言えば、提供しているのは、NHKだけではない。今では、ほかに代替はいくらでもある。
「娯楽と情報」を提供する、媒体は、ラジオ、テレビ、映画、新聞、雑誌、本、インターネット、スマートホン、タブレット、のように、身の周りにあふれている。
ラジオはキー局数社、地方局、FM局を含めて、数えるのが難しいのほどだ。
テレビ局は、関東地域でいえば、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、これらのテレビ局が、地上デジタル局、BSデジタル局とある。このほか、BS専門局が20局ほどある。このほか、ケーブルテレビ局も存在する。
新聞も全国紙数社、地方紙、業界紙は数しれない。
各種、本、雑誌は町にあふれ、国、県、市町村は図書館をそれぞれ設置している。ここでも、「娯楽と情報」のがあふれている。
特に、パソコンを利用してのインターネットは、「情報」収集に関しては非常な威力を発揮している。また、買物、予約、銀行機能、各種調査、などテレビが一法的に情報を流しているのとは違い、自分が欲しい情報を的確に入手することができる時代になったのである。
また、特に最近著し普及している、スマートホンは、電話機能に加え、メール機能、さらにインターネット機能を加え、ツイッタなど情報の相互送信が可能である。このように、戦後の放送法ができた時と、時代は当時想像も出来なかったくらい激変している
ここで再び、思いつくままに、前述の例を挙げてみる。
「水道、ガス、電気、交通機関、衣料、食料、住宅、道路、自動車、ガソリンスタンド、病院、薬局、消防、商業施設(スーパーマーケット・コンビニなど)、飲食店、通信(スマホなど)、パソコン、お酒、紙おむつ、………… > NHK」
更にここで、もう一つ比べてみたいものがある。トイレットペーパー(テッシュ類を含む)である。
家にある、トイレットペーパーがなくなり、どこの店にも売っていない。明日から、生活に支障がでるだろうか。この場合は、これまでの例と違って、代替品がある。古新聞や、古雑誌である。これらをちぎって柔らくなるまで揉んで、使う。それに対しNHKの番組が見れなくなるとして、明日、生活に何か大きな支障が起きるだろか。ここでまでくると、さすがに「大好きな朝の連続小説が見れないくらいなら、トイレの紙は古新聞でかまんする」という人がいるかもしれない。
筆者はトイレットペーパーのほうを優先することとする、なぜなら、上に書いたように、NHKの代わりは沢山あるではないか。いまさら、古新聞をトイレットペーパー代わりに使うのは嫌だ。しかし、これは判断が分かれるかもしれない。ここまで、読んでこられた読者がおられるとしたら、どちらを優先するかご意見をお寄せいただければ、幸だ。また、NHKの放送が優先する場合は、何にたいしてかもお聞かせいただければと思う。
さて、話がとうとう、「トイレットペーパーとNHKの放送」、どちらが実生活の中で必要性の優先順位が高いかを、検討するはめになった。これは、NHKが使う、「公共の福祉」には、実態のない「枕詞」としての意味しかないことを示すためであ
NHKは放送を通じて、「娯楽と情報」の提供をし、その対価として、利用料をえている。サービスを提供して料金を得る、つまり、NHKの活動自体は商業行為なのである。ただ、料金徴収を特別に与えられているに過ぎないのである。物資の提供ではないが、その形態は電力会社に似ている。また、その提供内容は、商業営業の映画や演劇、音楽演奏会と同じである。また、物資の提供でない点でも、美容院や理容院に似たところもある。いずれにしても、サービスを提供して、料金を得ているため、一連の活動は、商業行為である。もちろん、法律で営利活動が禁じられている点では、上述の利潤を追求する一般企業や商店とは異なるが、サービスを提供して、対価を得るという点では、まったく同じである。
にもかかわらず、NHKは、自らの活動をあたかも特別なもののような印象を与えるべく、広報活動を繰り返している。たしかに、その地位は、法律で定められているため、存在自体は通常の個人商店とは、相違があるだろう。しかし、サービスを提供して料金を得ている点では、商業活動と同じだ。違うところは、上述のように、一般の商店の営業が利潤の追求であるのに対して、NHKはその利潤の追及が禁止されている点だ。しかしながら、たしかに、表面上は、NHK本体は非営利企業のようにふるまっているが、実は傘下に多くの営利企業を抱えている、複合企業なのである。それでは、NHK本体が利潤の追求を出来ないから大変かと言えばそれは違う。一般企業、分かりやすく株式会社を例にとると、株式会社は、株式主から資金を集め営業活動を行い、その儲けの中から、お金を株主に払う。株主は、その支払われるお金を期待して、資金を提供しているのである。もし、企業の営業活動がうまくゆかず、儲けがなければ、株主に支払うお金が減る、あるいは支払らわれないかもしれない。そのような事態はが起これば、株主は、資金を引きあげかもしれない。そのようなことになれば、企業は存続の危機に直面することになる。各企業はそのような事態にならないよう、懸命に、活動するのである。
ところで、NHKは、営利活動が禁止されているから、一般企業と違い大変だと主張しているが、これは、間違いだ。企業が、儲けを出さなくていいい、こんないいことはないのである。NHKは法律で、強制的に受信契約を求めることを認められている。一般企業のように、儲けを出すため、汗水流して働く必用もない。その上、社員はすごく高い給料はを得ている。不祥事を起こしてもつぶれることもない。こなんいい企業が他にあるだろうか。
NHKは受信料の徴収を増やすため、あたかも、自分たちが、特別な存在のように祭り上げようとしている。行っていることは、サービスの提供に対して、利用料を取る商業活動と何ら変わりない。このことは、町のパーマ家さんとお同じなのである。このような、権威主義から脱却し、公正な活動を取り戻すには、放送法64条1項の破棄、または改正が必要なのである。
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