NHK受信料問題 トイレットペーパーとNHK 公共の福祉

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 NHKは、受信料制度について、次のように説明している。

NHKは、受信機をおもちの方から公平にお支払いいただく受信料を財源とすることにより、国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれることなく、公共の福祉のために、みなさまの暮らしに役立つ番組作りができます。
 学校放送、福祉番組、災害情報など、なくてはならない放送をお届けできるのも、受信料制度があるからです。」

 我々が問題としているのは、受信料制度そのものではない。受信契約制度なのである。電気、ガス、水道のように、ある物資、またはサービスを提供して、その対価を受け取ることに、何ら問題はない。当たり前のことである。またNHKの存在を否定するものでもない。それは、国民全体できめることだ。NHKの番組内容、料金に満足していて、放送を楽しんでいる人に対しては、何も言うことはない。

 さて、ここではまず、NHKが主張する公共の福祉について、考えてみたい。
     (上の赤文字をクリックすると、解説ページへ移項する)
 NHKは、放送を通じて、具体的に何をもって「公共の福祉のため」になることを行っていると主張しているのだろうか。これを、もっと具体的に誰にでも理解できるように、分かりやすく表現できないだろうか。

 そこで、もっと視覚的に、NHKが主張する「公共の福祉」ということについて検討したい。
 まず、分かりやすい例として、水道、ガス、電気を例にとってみたい。

 水道、もしこれが何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これは、出るところの騒ぎでない。今から、ご飯はどうする、洗濯はどうする。お風呂はどうする。生活は大混乱である。それに対して、NHKの番組が見れなくなるとして、明日生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「朝の連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
 そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、水道の供給のほうが、NHKの放送より生活に必用な優先順位が高いということになる。その関係を次の式で表すと、
        「水道>NHK」
のように表せる。これは、「公共の福祉」という概念を誰にでも分かりやすくするための、工夫である。
 次に、ガスを例にとって見よう。
 ガス、これが何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これも、出るところの騒ぎでない。今から、明日の朝、昼、晩のご飯はどうする、赤ちゃんがいる家庭ではミルクを作るためのお湯の確保も必要だ。また、お風呂もどうする。生活は大混乱である。それに対して、NHKの番組が見れなくなるとして、明日、生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「朝の連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
 そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、ガスの供給のほうが、NHKの放送よりより生活に必用ということになる。その関係を次の式で表すと、
      「水道、ガス>NHK」
のように表せる。これは、「公共の福祉」という概念を誰にでも分かりやすくするための、工夫である。
 次に、電気を例にとってみよう。
 電気、これも何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これも、出るところの騒ぎでない。電灯がつかない。NHKどころか、テレビ自体見れない。電子レンジ、トースターも使えない。エアコンも使えない、夏なら大変なさわぎである。このように生活は大混乱をきたす。それに対して、NHKの番組が見れなくなるとして、明日生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「朝の連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
 そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、電気の供給のほうが、NHKの放送より生活に必用な優先順位が高いということになる。その関係を次の式で表すと、
        「水道、ガス、電気>NHK」
のように表せる。
 次に、交通機関(バス、電車など)を例にとってみよう。
 同じように、交通機関が、何かの事情で明日止まるとして、生活に支障がでるだろうか。これも、出るところの騒ぎでない。通勤はどうする。通学はどうする。病院はどう行く。人の流れが止まり、経済は、普段の生活は大混乱をきたす。それに対しNHKの番組が見れなくなるとして、明日、生活に何か大きな支障が起きるだろか。特に思い浮かばない、強いて挙げれば「あさの連続小説が見れない」くらいだろうか。天気予報は、NHK以外でも見れるし。交通情報も他の放送局で見れるし、はて、NHKがなくて困ることはと聞かれて、困ることは思いあたらない。
 そうすると、次の関係か成り立つ。つまり、交通機関のほうが、NHKの放送より生活に必用な優先順位が高いということになる。その関係を次の式で表すと、
        「水道、ガス、電気、交通機関>NHK」
のように表せる。
 限がないので、一応ここで比較は終わりとするが、この関係をずっと続け、         「(あるもの)<NHK」
となる場合とは、いったい何だろう。「あるもの」よりNHKの番組ほうが生活により必要となるものの名前は何になるのだろう。

 ここで、もう一度確認してみると、NHKの提供しているのは、主に「娯楽と情報」である。「娯楽と情報」に関して言えば、提供しているのは、NHKだけではない。今では、ほかに代替はいくらでもある。
 「娯楽と情報」を提供する、媒体は、ラジオ、テレビ、映画、新聞、雑誌、本、インターネット、スマートホン、タブレット、のように、身の周りにあふれている。
 ラジオはキー局数社、地方局、FM局を含めて、数えるのが難しいのほどだ。
 テレビ局は、関東地域でいえば、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、これらのテレビ局が、地上デジタル局、BSデジタル局とある。このほか、BS専門局が20局ほどある。このほか、ケーブルテレビ局も存在する。
 新聞も全国紙数社、地方紙、業界紙は数しれない。
 各種、本、雑誌は町にあふれ、国、県、市町村は図書館をそれぞれ設置している。ここでも、「娯楽と情報」のがあふれている。
 特に、パソコンを利用してのインターネットは、「情報」収集に関しては非常な威力を発揮している。また、買物、予約、銀行機能、各種調査、などテレビが一法的に情報を流しているのとは違い、自分が欲しい情報を的確に入手することができる時代になったのである。
 また、特に最近著し普及している、スマートホンは、電話機能に加え、メール機能、さらにインターネット機能を加え、ツイッタなど情報の相互送信が可能である。このように、戦後の放送法ができた時と、時代は当時想像も出来なかったくらい激変している

 ここで再び、思いつくままに、前述の例を挙げてみる。
 「水道、ガス、電気、交通機関、衣料、食料、住宅、道路、自動車、ガソリンスタンド、病院、薬局、消防、商業施設(スーパーマーケット・コンビニなど)、飲食店、通信(スマホなど)、パソコン、お酒、紙おむつ、………… > NHK」
 
 更にここで、もう一つ比べてみたいものがある。トイレットペーパー(テッシュ類を含む)である。

 家にある、トイレットペーパーがなくなり、どこの店にも売っていない。明日から、生活に支障がでるだろうか。この場合は、これまでの例と違って、代替品がある。古新聞や、古雑誌である。これらをちぎって柔らくなるまで揉んで、使う。それに対しNHKの番組が見れなくなるとして、明日、生活に何か大きな支障が起きるだろか。ここでまでくると、さすがに「大好きな朝の連続小説が見れないくらいなら、トイレの紙は古新聞でかまんする」という人がいるかもしれない。
 筆者はトイレットペーパーのほうを優先することとする、なぜなら、上に書いたように、NHKの代わりは沢山あるではないか。いまさら、古新聞をトイレットペーパー代わりに使うのは嫌だ。しかし、これは判断が分かれるかもしれない。ここまで、読んでこられた読者がおられるとしたら、どちらを優先するかご意見をお寄せいただければ、幸だ。また、NHKの放送が優先する場合は、何にたいしてかもお聞かせいただければと思う。
 
 さて、話がとうとう、「トイレットペーパーとNHKの放送」、どちらが実生活の中で必要性の優先順位が高いかを、検討するはめになった。これは、NHKが使う、「公共の福祉」には、実態のない「枕詞」としての意味しかないことを示すためであ。

 NHKは、「公共の福祉」という言葉に、「多くの人が、受信機の設置をもって料金を払っているのだから、番組を見ていないかもしれない少数の人からも料金を徴収したとしても、それは許される範囲だ」という意味を込めたのかもしれない。しかし、筆者はそうは思わない、「公共の福祉」という文言を用いて「NHKの場組を見ていないかもしれない者からも強制的に受信料を徴収している」ことは到底許されないと思う。何故なら、「公共の福祉」=「多くの人々の利益のために個人の権利を制限するが、制限された権利は正当な範囲で補填される」の後半部分を意図的に隠して、触れないようにしている。
 
放送法64条には、NHKの番組を聴視していない者からも、受信料を徴収しているかもしれない、という不合理が内在していた。しかし、それはNHKを聴視しているか、いないか、を判別するのが技術的に不可能であった時代の規定で、間接的に、受信機の設置をもってNHKを利用していると規定した、やむをえない事情からなのだ。NHKは、受信料の徴収について、よく「受信料の公平負担」という言葉を使う。しかし、放送法64条に内在する、「NHKを見ていない者からも受信料を徴収しているかもしれない」という不公平には、口を噤んだままである。NHKが真に受信料の公平負担を主張するならば、テレビメーターを導入し、NHKを利用しているか、いないかをはっきりさせて、聴視している者から受信料を徴収することにすべきだ。それならば何ら問題ない。もし、聴視しているにもかかわらず、受信料を支払わなければ、テレビメーターで、放送の供給を止めればよい。これこそが、真の受信料の公平負担である。NHKを視聴していない者からも、視聴料を取っているかもしれない、不合理をどう補填するのか。その不合理の解消は、テレビメーターの導入によって行われるのだ。またそれこそが、公共の福祉にもかなうものではないか。そのためには、放送法64条の破棄、または改正が必要となるのである。


 NHKは、もし受信料制度が無くなると、NHKの存続が危ぶまれる事態におちいり、国民は生活が成り立たなくなり、大きな損失を被ることだろう、との誇大宣伝をしている。だから、受信料制度は必要だという。この説明に対しての反論としても、上記の比較を思い出してもらいたい。「NHKの番組」は「トイレットペーパー」と比較して、どちらが実生活に必用かの優先順位を争う程度なのだ。もし、NHKが無くなっても、実生活に大きな障害が起きることは無いと断言できる。
 NHKは、不安を煽るため、受信料制度が無くなると、NHKが無くなるようにいう。しかし、これも問題の焦点をそらすための詭弁だ。我々は、受信料制度自体に問題があると主張しているわけではな、何らかのサービスを提供して、その対価を得ることに何ら問題はない。当たり前のことである。問題は、受信料徴収の前提となる、受信契約制度にあるのだ。NHKはこの「受信契約制度」には故意に触れず、問題のすり替えとして「受信料制度」を前面に出し、人々の目から、「受信契約制度」の欠陥を隠している。つまり、たびたび、主張してきたように、放送法64条1項で規定されている、「受信設備を設置した者は~契約をしなければならない」が問題なのである。そして、この規定の中に内在する、「NHKの番組を聴視していない者からも、料金を徴収している」が、主題なのである。
 この解決には、放送法64条1項の破棄または改正が必要なのだが、これには時間がかかる。それと同等の効果をもたらすのが、テレビメーターの導入なのだ。
 テレビメーターを導入すると、当然NHKの収入は減少することが予想される。しかしなが、テレビメーターを導入しても、NHKが主張するように、NHKが消滅するとは、考えられない。もちろん、改革は待ったなしに迫られるであろう。だが、NHKは現在、テレビ、ラジオを含めて8チャンネルを持ち、早朝から深夜まで放送を流し、高い給料を払い、関連企業を多数抱える、などとても簡単につぶれほど、痩せっぽちではないのだ。
 だから、テレビメーターを導入し、NHKを利用しているか、いないかを判別し、聴視している者から受信料を徴収することにしよう、と主張するのだ。

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