<放送法64条1項は宝の山>
NHKとって、放送法64条は宝の山なのだ。
そもそも、電波を使っての放送は、他の物資の提供やサービスの提供とは著しく異なる点がある。それは、一度番組を作て、アンテナから発射すれば、それを受信する者が、10人だろうが、1,000,000人だろうが。掛かるコストは同じだ。利用する人数が増えても、コストは同じなのだから、人数が増えれば増えるほど収入も増えるのだ。
比較のために、電気、水道、ガス、などの例を上げれば、これら物資の提供は、利用者が増えれば、収入も増えるが、それに比例して、コストも増える。放送は利用者が増えてもコストは同じ、このため利用者が増えた分は、収入になる。
NHKは、平成16年に職員による番組制作費の横領とうの不祥事が相次いで発覚し、多数の料金の不払いがおり、経営に深刻なダメージを受けた。
本来、自社の不祥事で売上が減り、会社の経営に多大な支障がおきた場合、まともな会社ならば、まず役員の給与の減額、子会社の整理、さらに社員の給与の減額、営業内容の縮小に伴う人員整理、営業拠点の縮小整理、営業時間の見直し・整理、営業内容の整理・見直しなど、行うのが普通である。しかしながら、NHKがそのどれも行ったという報告はない。その結果、不祥事の後でも、高い給料を維持し、テレビラジオを含め8チャンネルを有し、朝から晩まで、放送を垂れ流し、何ら改革の実効性をあげえてないのである。
NHKは法律に守られているため、そうする必要がないのだ。特に放送法64条1項はNHKにとって生命線である。この法律がある限り、NHKはたとえ不祥事を起こそうが、潰れることはないのである。放送法64条1項があるかぎり、NHKは何ら改革する必要がない。必要性がないのに、改革が行われることはない。改革より、いかに、この放送法64条1項を守るかが、NHKの至上命題なのだ。これは、NHKに限らず、法律で守られている企業全てに当てはまる。
更に、NHKは自らを改革することをせず、禁じ手に打って出てしまった。禁じ手とは、無理な営業活動と訴訟活動である。
平成18年以降、「背に腹はかえられぬ」とばかりに、受信料の公平負担を旗印に、法律に触れなければ、モラルを無視した無理な営業活動を行うようになった。ここで、NHKの良心は失われたといえる。夜間の遅い時間での営業訪問、法律に疎い、主婦や高齢者をだましての契約、一人暮らしの学生など、主に弱者を相手に、とてもまともな企業がやらないような営業活動をおこなっている。その営業員はNHKが外部に委託した、下請けともいえる会社なのだ。NHK社員はほとんど、契約活動、集金活動などをやっていない。このため、目に余る脅迫に近い契約活動、集金活動がおこなわれている。NHKと受託業者の契約内容はどのようになっているか良く分からないが、おそらく、成功報酬的な契約内容になっていると思われる。受託会社の中には、悪徳業者のようなものもあると聞く。そのため、ますます、営業活動は荒っぽくなる。そして、一度契約をしていまうと、その破棄はいたって難しい。
その、無理な営業活動の根拠になっているのが、放送法64条1項の「受信機を設置した者は~契約しなければならない」、というところにある。本来ならば、「放送を利用する者は~契約しなければならない」とすべきなだ。もし、本来の形の、「放送を利用する者は~契約しなければならない」となっていれば、
「NHKですが、テレビ受信契約にあがりました」
「うちは、NHKを見ませんので、またね」
「まいど、ありー、またよろしくおねがいします」
というように、昔のあったお店の御用聞き、あるいは、今も行われている、新聞の勧誘のように、事態は簡単に、すっきりしたものになるのだ。
ところが、放送は電波という媒体を介しておこなわれているため特殊な工夫が必要になった。この特殊な工夫とは、電波は一度発射されると、どこの誰が受信しているか判別することができなかった。放送を視聴している者を特定できないという特殊性のため、「受信機を設置(=利用者)したものは~契約しなければならない」と間接的に、利用者を推定するよりほかに、利用料を徴収する方法がなかったのだ。この利用者を間接的に推定しているため、さまざまな、弊害が現れ始めている。それが、上記に述べたような営業活動になっている。
自ら招いた、不祥事を、自ら改革することなく、安易に司法手段を使っても、受信料を増やすという愚に出た。本来、NHKは、司法手段を使うべきでないのだ。放送法64条には、
「受信機を設置(=利用者)したものは~契約しなければならない」と間接的に、利用者を推定している。このため、「NHKの番組を視聴していないかもしれない者からも、利用料を聴取しているという不公平を内在している」のだ、だから、司法手段を使って受信契約をせまったり、受信料を取り立てたりすべきではないのだ。まさに間接的に利用者を推定した規定の放送法64条が、無理な営業活動を助長している。また、NHKに司法手段を与える根拠となっているのも放送法64条の1項の規定なのだ。テレビメーターの導入が可能になったいま、放送法64条の1項の規定は死語なのであるが、NHKはテレビメーターの導入を拒んでいる。それは、国民のためではなく、テレビメーターを導入すると、視聴者の減少が予想されることによる、自身の組織の縮小を恐れているためなのである。
NHKの番組内容、料金に満足し、放送を楽しんでいる人は、それでいい。料金に見合うサービスを受け取っていると思われるからだ。しかしながら、料金を払っているがNHKの番組は視聴していない者もかなりいると思われる。これらの人は、「法律で決まっているから仕方ない」と支払を続けているわけで、法律を遵守する善良な市民といえる。NHKはこれらの人々には何らのサービスも提供しておらず、料金だけを取っていることになる。コストもかからす、いわゆる「ぼろもうけ」である。
さらに、テレビはあるが、NHKと受信契約をしていない世帯、いわゆる受信契約義務世帯が約1,000万件あるそうだ。また、受信契約はしているが料金不払いの世帯が約150万世帯ある。これらの受信料、推定およそ、2,500億円( 年間 )にもなりそうだ。この金額の鉱脈がまだまだ、眠っていることになる。これは、NHKにとってまさに宝の山なのである。この山は掘り起こしてしまえば、あとのコストがかからない、夢のような鉱脈なのである。もちろん、この鉱脈の採掘(受信契約・不払い者の解消)には時間と費用がかかるが、のちの、精錬ゃ商品製作には、お金がかからない。
冒頭で述べたことを、もう一度思い出してもらいたい。電波を使っての放送は、他の物資の提供やサービスの提供とは著しく異なる点がある。それは、一度番組を作て、アンテナから発射すれば、それを受信する者が、10人だろうが、1,000,000人だろうが。掛かるコストは同じだ。利用する人数が増えても、コストは同じなのだから、人数が増えれば増えるほど収入も増えるのだ。まさに、「ぼろもうけ」なのである。
これが、NHKにとって放送法64条1項が宝の山と言える所以である。
もし、放送法64条1項が廃止されたり、テレビメーターが導入された場合、NHKの放送収入は大きく減ることになるだろう。その結果、国民に不利益をもたらすことになる、とNHKは主張するだろうが、本心は、自らの組織の消滅、減衰をを恐れているだけなのだ。NHKがなくなっても、明日からの生活に大きな障害が起こるとはないと断言できる。なぜなら、筆者はNHKの番組を見ていないが、具体的に生活に不自由を覚えることはない。また、テレビのない家も少なからずあると思われるが、それらが生きてゆけないという話を耳にしたことがない。電気、ガス、水道などは、無くては生活が成り立たない。しかし、NHKの番組がなくて生きていけない者などいない。NHKが必要なのは、為政者、総務省、そして、NHK自身に他ならない。
放送法64条は、NHKにとって「宝の山への道しるべ」なのだ。何が何でも、手放したくない。それで、なんだかんだ理屈をつけているのだ。NHKに必用で、国民には必要でない放送法64条は、破棄、改正が必要なのである。