NHKは国民の知る権利に応えているか
日光東照宮の陽明門へ通ずる石段の下に神馬を入れる厩がある。厩であるから、それ程大きな建物ではないが、この建物の周囲に、16匹の猿の彫刻がある。そのうちの3体がいわゆる「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の三猿の彫刻である。本来、この三猿の意味は、成長における、良い教訓を示しているようだが、ここでは、あえて悪く自己解釈している。
つまり、「目をつぶって見てみぬふりをし」「耳を塞いで聞かなかったことにし」「くちを閉じて何も言わない」、NHKの政府与党に対する姿勢を表そうとして、三猿を例に挙げたのだ。
さて、国民の知る権利に話を移そう。
今、前代未聞、驚天動地の恐るべき事態が出現した。昨年(2017年)より、国会で問題になっている「もり」「かけ」のうち、「森友学園」の問題で新な疑惑が発覚したのだ。朝日新聞のスクープが問題発覚の端緒となった。森友学園が国有地を購入にあたり、財務省が8億円の値引きをしたことが、適切であったかどうか、が問題の焦点であったわけだが、なんと、その値引きを繕うため、決済文書を改ざんしたというのだ。
朝日新聞のスクープが書き換えの事実を暴くもととなったが、果たして、この事実をNHKが最初に知ったとして、これを報道したか、という問題である。
答えは、「否な」である。ある意味、朝日新聞だからこそ、出来たともいえるように思う。「権力は腐敗する」という例えの通りの事が、いままさに出現している。
この問題が、ここまでこじれているのは、まさに、権力のトップが絡んでいるからなのだ。つまり、この問題には、国のトップ、首相が絡んでいるから、なかなか、解決ならないのだ。これが、閣僚の一人や、あるいは単なる国会議員一人の問題だったら、その人に責任を取らせ、辞任をさせれば、ある程度の解決を見るのだが、国のトップの首相が絡んでいるので、話が非常にややこしくなっている。つまり、首相の責任となると、内閣総辞職か衆議院解散かのどちかになるわけだが、これは、どちらも首相が自ら判断しなければならない。そして、首相がどちらも「いやだ」とするならば、問題は永遠に解決はしない。このように、国家が悪意を持った時、我々一般庶民はこれに抗することが出来ない、この時こそ、報道機関の真価が問われるのだ。しかし、これをNHKに求める事はできない。このような不正が起こったときこそ、報道機関の使命を果たす時なのだ、しかし、NHKはこれに応えることとは出来ない。
NHKが提供しているのは、大別して次の2つである。つまり、情報と娯楽である。この2つの中で、国民の知る権利として最も求められるのは、情報である。娯楽は、いわば情報を知らしめるための、釣りで使う「こませ」的役割を担っている。政府・与党が重要な知らせと考えて、NHKか朝から晩まで、ニュースを流し続けても、これを視聴する人がいなければ、絵にかいた餅であり、当初の目的は達せられない。当初の目的とは、情報を視聴してもらい、その情報の中に、自分たちの伝えたいことを挿入し、宣伝、感化を図ること。だが、これを実現するためにも、とにかくテレビを見てもらわなくては、話にならない。朝から晩までニュースを流したのでは、テレビを視聴する人、時間は大幅に減少するだろう。テレビを見てもらわないのでは、宣伝も、感化もない。そこで、人々が、テレビを見ることは、楽しい、面白いと、感じさせ、視聴させるため、娯楽番組を放送する。つまり、娯楽番組と娯楽番組の間に、情報番組を挟むようになっている。むしろ、ほとんど娯楽番組の隙間に、情報番組(ニュース)を挟んでいるのが実情である。
国民の知る権利を標榜するならば、朝ドラ、大河、歌番組、相撲、スポーツ、などの娯楽番組をNHKがやる必要性はない、それより、組織を縮小し、チャンネルの数を減らし、受信料を適切な価格にすべきだなのだ。他のテレビ局ができることを、NHKがやる必要性は全く感じない。
政治の世界で「信なくば立たず」という言葉がある。つまり、政治をするうえで、最も大切なのは、信頼できる、あるいは、信用できるということだろう。ところが、今まさに、「信なくば立たず」の真逆の事態が起きている。政治は、多数決の原理に成り立っている。たとえ、国のトップが悪意をもって政権の維持をはかっても、それを支持する政治家が過半数いれば、事態は解決しない。
さて、このページは政府・与党の姿勢を糾弾するページではない。NHKが国民の知る権利に寄与しているか、が主題なのである。上述の、朝日新聞のスクープ、決済文書の改ざんは、正に、国民の知る権利を充足させるもの、の例として、挙げたのだ。朝日新聞は、以前その記事内容で批判を受けたこともあったが、この度の報道は、称賛に値いするものだと思う。
次の文書は、本音と建前、その他のページでも、たびたび使用した。NHKと政府・与党との関係を、的確に表していると思うので、再び使うことにする。そして、NHKは国民の知る権利に応えていない、応えられないことを明らかにしたい。
NHKを必要としているのは、まず政府与党、つまり為政者なのだ。自分たちのコントロールできる放送局を確保するため、NHK設置法を制定した。つまり、情報操作による思想統制を行うことが目的である。だから、NHKの存在そのものは一般民衆のためではなく、政府与党のためなのだ。現在でも、朝鮮半島のある独裁国家が、毎日のように、国民に思想統制の放送を行っていることを目にする。最近でも、アフリカ、ジンバブエで36年続いた独裁政権が、クーデターによって倒れた、というニュースを目にしたばかりである。この時も、まず新しい政権は、放送局を統制下に置いたとされる。
戦後のNHK設置でも、政府与党が、自分たちのコントロールができる放送局を確保することが目的だったことは容易に想像できるし、実際そのように法律が出来ている。NHKの業務の一つに、与党に、番組内容を放送前に説明に行くことが、含まれていたとの話はよく耳にした。こんなことが行われていれば、例え、今回の朝日新聞のスクープのような内容を、NHKが入手したとしても、これが報道されることなど、絶対にないことが分かるであろう。与党が、これを放送させることを許すわけがないからだ。そうすると、NHKの情報とは絶えず、政府・与党のフィルターを通した、どうでもいいことばかり、ならざるを得ない。
現在の社会状況の中で、NHKをコントロール出来ても、国民の思想統制が出来ると考える、国会議員がいるとは、思われない、ということを言ってきたが、そうともいえない記事が、この間の新聞に載っていた。
読売新聞2018年3月17日3面につぎのような記事があった
放送 信頼失う恐れ 「公平」規定を撤廃 安倍首相が検討している放送事業見直し案には、政治的公平性を求める放送法の条文撤廃など、放送の中立や公益性を損なうような項目が数多く並ぶ。放送に対する信頼低下を招きかねず、慎重な議論が求められる。 議論の発端となったのは、2月1日に開かれた政府の未来投資会議だ。安倍首相は「技術革新により通信と放送の垣根がなくなる中で、放送事業の在り方の大胆な見直しも必要だ」と踏み込んだ発言をした。 見直しの対象の一つとなっているのが放送法4条だ。番組を編成する祭に、①善良な風俗を害しないこと②政治的に公平であること③報道は事実を曲げないこと…などを放送局に求めている。首相はこれを撤廃することを検討している。 首相は規制撤廃で、テレビ局がインターネットなどで自由に主張を伝えることができるようになり、競争を通じて質の高い番組作りが進むとみているようだ。 しかし、放送番組は、放送法の規定によってサービスの質か維持されていることが前提になっている。 …中略… 4条がなくなれば、視聴者の気を引くために過激な番組やフェイク(偽)ニュースが増えたり、報道の中立性が損なわれたりする可能性がある。 …後略… |
上記の新聞内容の、首相の真の狙いとは何か、を推測してみよう。昨年来つづく、「もり」「かけ」の各テレビ局の報道に、業を煮やし、ひとつは、NHKにもっと、政府与党の養護に当たらせること、また、NHK以外の放送局にも、自身のシンパを作りたい、という思いが透けて見える。
NHKのコントロールだけでは飽き足らず、テレビ局全体をコントロールして、戦前の社会に戻そうとでもしてるのだろうか。つまり、情報操作を通じての思想統制である。なにか、恐るべき社会の足音が聞こえるよな気がする。
冒頭に述べたように、NHKの記者が、今回の朝日新聞のようなスクープを入手したとして、これを放送できたろうか、という問題である。また、スクープの例として、世界に衝撃を与えた、アメリカの「ウォーターゲート事件」を思い出すが、このような場合でもNHKは放送出来たろうか、との疑念が浮かぶ。筆者の答えは、これも前述のように、「否」である。おそらく、かなり時間が経過し、ほとんどの人々の記憶からこの問題が忘れ去られた頃になって、また事実がほぼかたまり、放送しても、政府与党から責任を問われられなくなった頃、「財務省の書き換えはなぜ起きたか」などのタイトルの放送を、あたかもNHKのみが事件の真相を追及しているかのような態をみせるため、放送するに違いない。
今回の「決済文書書き換え」のような重大事件の発生の時こそ、NHKは国民の知る権利に応えるべきなのに、出来ないし、やろうとしない。なぜなら、政府与党に明らかに反旗を翻しては、自己の組織の維持、または、既得権益を守れないからだ。国民から、直接受信料を取り、本来ならば、国民の信頼に最も応えるべきNHKに、それが期待できないとは、なという、悲劇であろうか。
だから、NHKに政府・与党を監視する役目を担うわせることなど、出来ないのだ、というこを言いたいのだ。このサイトで、たびたび言ったように、報道機関の最大の使命の一つは、権力の監視なのであるが、それが出来ない報道機関に、どれほどの信頼が寄せられるというのだろう。そのような、報道機関から、流される情報は、政府・与党に迎合した内容から出ることは出来ず、最も国民に必要な情報は隠し、どうでもいいような内容にならざるを得ない。
NHKは国民の知る権利に寄与していない、と言わなければならない。
スクープ : 他の報道機関を出しぬいて、大きなニュースをつかみ、報道すること。特種(とくだね)。
こませ : 釣りで、魚をを集めるための撒(ま)き餌(え)(コトババンクより引用)
シンパ : シンパとは、ある人物や団体の政治的思想に賛同し信奉者となった人のことをさす言葉。英語のシンパサイザー(Sympathizer)の略で、共鳴者、同情者の意味が、転じて、影響力のある人物、団体の信奉者、支持者、賛同者等々の類語と同じような意味でも使われる。ウィキペデア フリー百科事典 より引用)