NHK受信料問題 本音と建前

NHKは民主主義の発展に寄与したか

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 このページでは、NHKは民主主義の発展に寄与したか、という問題を取り上る。キーワードとして「本音と建前」という文言を用いて、話を展開してみたい。それというのも、最近の新聞記事でNHKの会長が、「NHKは民主主義の発達に寄与してきた」との発言を見た。これは本当かどうか、検討してみなければならないと感じたからだ。

 この問題を考える上で、まずはっきりさせておかなければならないことは、「民社主義」の定義である。

 ここでは、民主主義を次のように捉える。国家(集団)と、それを構成する個人(構成員)のどちらの利益を優先するかを考えた場合に、国家(集団)より、個人(構成員)を優先する考えであるとする。つまり、国家(集団)のために個人(構成員)が存在するか、国家(集団)は個人(構成員)のために存在するかという場合において、国家(集団)は個人(構成員)のために存在すという立場を取るのが、民主主義と捉える。

 さて、日本の民主主義である。我が国では、わずか、70年前まで、天皇を神とし、天皇を中心として、この国を統治してきたのである。国家は、国家を構成する民衆の上に存在し、民衆は、国家(天皇)に従属していた。ここには、民主主義などという概念はない。
 この国の民主主義と呼ばれるものは、先の太平洋戦争でアメリカを中心とする連合国軍に敗れ、連合国軍に押し付けられたものである。欧米のように、民衆が国家と戦い勝ち取ったものとは、その経歴は大いに異なる。
 平均寿命が80才前後になった今、70年前ということは、まだ、天皇を神とした戦前の教育を受け、育った者がいるということである。また、それらの両親のもとで育った者が、現在の社会を動かす中核を担っているのが現状である。戦前の教育を受けた者の中に、また、その両親のもとで育った者の中に、民主主義の思想が十分成熟しているかは疑わしい。

 

  民主主義とは、国家(集団)と、それを構成する個人(構成員)のどちらの利益を優先するかを考えた場合に、国家(集団)より、個人(構成員)を優先とする、考えに真逆の例として、警察の裏金作り、いわゆる架空請求問題を挙げてみたい。
 我々は、警察を法の執行人、不正を正す正義の組織だと思っている。困ったことがあったら、助けてくれる組織だと勘違いをしている。警察もまた、いかにも市民の平和を守る組織であるというようにふるまっている。しかしそれは、大きな思い違いである。警察の正義は、全面的な正義ではなく、あくまで、警察の組織を守る事が第一義なのである。警察の組織を守ることが出来る範囲においての正義なのである。これは、なにも警察に限らず、すべての官庁に当てはまるといえる。我々が、警察を信用しているのは、多くの人々が警察との接触を持ったことがないのが、原因である。いわゆる、警察の「世話」あるいは、「関わり」がないからである。頭から、あるいは、希望的観測から警察は、正義の組織だと思っている。しかしながら、それが違うことは、ひとたび、警察の「世話」あるいは「関わり」を持てば、警察も一つの役所の組織であり、個人の「あなた」を守ることなど、出来ないし、やる意思もない、ということが分かるであろう。

 ある警察署で、署に所属する警察官に旅費などを架空請求させ、その架空請求で得たお金を一か所に集め、裏金としてし保存し、そのお金を本来の目的以外に使っていたという事実が明らかになった。これは、明らかに、私文書偽造あるいは、公文書偽造にあたり、違法行為である。そのお金の使い道がどうであろうと、公金横領に当たるだろう。警察は、ある警察署の特別な事例として、幕引きを図ったようである。警察が不正を行ったとき、誰がそれを正すのか。公安委員会、地検特捜部、ほんらいならば、これらが不正を正す任務を担っているはずなのだが、これらは、みな警察の身内のようなもの、個人の利益より、組織の利益を優先することに変わりなく、警察の不正に関しては、無力・無能と言わなければならない。そこで、民主主義の発展には報道機関の役割が大きく期待されるのである。
 ところで、ある警察官が、旅費などの不正請求は違法であり、「私はできません」と架空請求書の作成を拒否した。その警察官は、どうなったか。交番に配属され、仕事も与えられず、1日中机の前に座らされる日々を過ごしたそうである。つまり、警察組織において、順調に階級を上げ、出世をするということは、組織の為なら、たとえそれが犯罪に抵触するような事でもするという人ということになる。あるいは、このように、不正請求を要求されるのは、下っ端の警察官で、その金を使うのは、キャリアなのか。いずれにしても、このような人間の集まりには、組織を守るために、個人の良心など何の価値も持たないのであろう。このような組織の集まりの社会(国家)に、民主主義などあり得るのだろうか。

 法の執行者たる、警察でさえこの有様である。他は押して図るべし、ということだろう。

 ここでは、警察の例を挙げたが、NHKも同じだということを言いたいがため、この例を挙げた。さあNHKよ、「NHKは民主主義の発展に寄与した」というなら、NHKが前述の問題にどのように取り組み、それによってどのように寄与したか、具体的に説明してもらいたい。建前はどうでもいい、本音で、具体的に説明してもらいたい。

 NHKを必要としているのは、まず政府与党、つまり為政者だ。自分たちのコントロールできる放送局を確保するため、NHK設置法を制定した。つまり、情報操作による思想統制を行うことが目的である。だから、NHKの存在そのものは一般民衆のためではなく、政府与党のためなのだ。現在でも、朝鮮半島のある独裁国家が、毎日のように、国民に思想統制の放送を行っていることを目にする。最近でも、アフリカ、ジンバブエで36年続いた独裁政権が、クーデターによって倒れた、というニュースを目にしたばかりである。この時も、まず新しい政権は、放送局を統制下に置いたとされる。
 戦後のNHK設置でも、政府与党が、自分たちのコントロールができる放送局を確保することが目的だったことは容易に想像できるし、実際そのように法律が出来ている。しかしながら、戦後その様な目的で作られたNHKであるが、今日NHKをコントロールできても、情報操作による、思想統制が出来ると考える政治がいるとは思えない。社会は、戦後、想像も出来ないくらい激変したのである。

 為政者にとって、放送局が国民の思想統制に必用欠くべからず物であることは、独裁国家の例がそれを示している。わずか、70年前まで、日本でも政府は、NHKを使って国民の思想統制を行っていたのである。

 さて、これまで見てきたように、NHKは、国家(集団)側に立っているのか、それとも個人(構成員)側に立っているか、明らかに、国家(集団)側に立っている、というのは疑う余地がない。   

 そのNHKが、「NHKは民主主義の発達に寄与してきた」というのを聞いて、「馬鹿めが、どの面下げて、そのような事が言えるのか」(思わず、感情の発露をみたので、このままこの言葉を用いることにする) と思わずにはいられない。確か、NHKの辞書には、「民主主義」という言葉はないはず[注1]、民主主義の意味も知らず、民主主義を口走るは、笑止千万。

 前にも述べたことがあるが、報道機関の最大の使命は、権力の監視である。権力の最大のものは国家権力である。権力を持った者が悪意を持った時、我々一般庶民は、これに抗することが出来ない。その時、報道機関はこれを民衆に知らしめ、政権の交代を促す使命を担っているのだ。これこそが、報道機関の民主主義への貢献なのだ。しかしながら、NHKにそれを期待することはできない。なぜなら、NHKは国家によって作られており、その国家を監視することなど出来ないからだ。

 NHKが「NHKは民主主義の発達に寄与してきた」と主張するのは、「建前」である。「本音」は、まず自己の既得権益を守る事、次に組織の維持、拡大にあることは議論を待たない。

注1) この言葉は、ナポレオンの「予の辞書に不可能という文字はない」、という言葉を真似たもので、個人の感想であり、真実を表すものではない。

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